こんにちは、代表の渡部です。
東日本大震災から4年が経ちます。
あの震災は、会社にとって非常に大きな契機となりました。
震災によって失ったもの、そして得られたものを、この節目のタイミングで整理し、ラビーダという会社の考えを述べさせていただきたいと思います。
【震災のこと】
4年前のあの震災によって、お店には大きな被害がありました。
原発事故が起きたことで、従業員にも大きな不安が襲い、お店は1ヶ月以上閉めざるをえない状況でした。今後どうなるかわからず、、、。
そのとき工事がすすんでいた住宅の修復は、幸い被害が軽微だったため大きな影響はありませんでした。
店舗に置いていた家具の被害は大きかったですが、家具屋ですので、修復、メンテナンスなど自分たちで直すことができました。
郡山は、揺れは大きかったものの、物質的な被害は直せるものが多かった、ということは不幸中の幸いだったかもしれません。
4年経ち、私たちが暮らす郡山という街は、見た目では震災の影響はなくなったかのように見えます。
【原発のこと】
壊れた物の多くは直すことが出来ましたが、放射能の不安から、当時のスタッフやお得意様が何人も県外へ避難されました。
私の妻と娘3人も2012年の春に、茨城に避難させました。
従業員のご家族達は福島県に住み続けているのに、代表である私の家族だけが避難していいものなのかどうか、悩み続けました。
ただ、震災の影響によって会社の経営自体も危ぶまれてしまった時期でもありました。
家族のことまで考える余裕がなかったということが正直な気持ちですが、家族が避難することで不安がひとつ減り、会社の存続のために仕事に没頭しました。
原発事故による、放射能の不安は今もあります。
自然と共存する暮らしを生業としている会社として、原発事故の影響で林業が立ち行かなくなる現場を目の当たりにしました。
地方にとって、その地域で継承されてきた仕事ができなくなるということは、文化の消滅であり、歴史そのものが途絶えてしまうことです。
そういった意味で、自然と共存できない危険が、原子力発電に現状はらんでいるというのであれば、まだ人間には早いのではないかと思います。
賛成や反対といった次元ではなく、人間、自然、未来にとって、不安のないエネルギーでなければならないと、強く思います。
【仕事のこと】
私たちはこの福島県という土地を離れて仕事はできません。それは、この土地と繋がった自然とともに仕事をしているからです。
覚悟を決め、腹を据えてここで暮らして行くことを、震災によって強く意識させられました。
震災によって、人間にとって何が大切なのか、という根本的なことが理解できたように思います。
そのおかげで、会社の方向性が、はっきりと見える契機となりました。
私たちにできることは、一生懸命、福島県で安全に、安心して暮らせる環境を作るお手伝いをすることです。
震災と原発事故を直接経験したからこそ、本気になってこの土地で安全に暮らしていける家づくりについて考えました。
「福島で暮らすことが、一番安心できる」という住まいづくりを目指していきたいと考えています。
住宅を建てるということは、その土地で暮らして行くことを決めるということです。
放射能のリスクを感じながらも、福島で暮らしている方は沢山いらっしゃいます。
そんな方々のために、安心して暮らせる住まいを一緒に作って行きたいと考えています。
そして、県外にいる福島が故郷の方々が、安心して戻って来れる、そんな福島になっていければと思います。
福島には今、私たちのような覚悟をもって暮らされている方が沢山いらっしゃいます。
行政や政治に頼りすぎず、自立した市民となることで、より安心してくらせる地域になっていって欲しいと思います。
渡部信一郎
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