そして京都から帰って来た翌日、次は石巻のK様に納品へ!
最近は遠方への納品や打合せが多くなって来ているので、もう慣れたもんです。
疲れもあってなのか意気揚々と車を飛ばし、いつもお世話になっているK様の会社に着き、初めて訪れた石巻という町がとても美しく自然も豊かなことを話していたのですが、途中見かけた広大な平地が実は元々町だったという事を聞いて衝撃を受けました。
北上川は元々川幅が広いとうこともありますが、海岸も見えない、こんなところまで津波がやってくるなんて、今見ても信じられません。
三月十一日のあの時に、津波にさらわれた方達は逃げられなかったのではなく、ほとんどが逃げなかったという事実を現地の方から実際聞く事ができて、「なぜ」と思うと同時に、ここが安全だと信じてしまう心情も仕方が無い。そう思える程に静かで、美しく、平和な場所なのです。
スーパー堤防などと200年に一度の災害にも耐えうると謳われた堤防も津波の前には完全に無力だったそうですが、自然相手に人間がどれだけ想定して考えても、それはほとんど無意味なのかもしれない。
大川小学校にも案内して頂き、あまりにも深い悲しみが漂うその場所で、僕たちは涙し、子供達を亡くされた親御さん達の気持ちを考えるだけで、なんかもう心がズタズタに切り裂かれる程に胸がくるしくなります。
僕たちもまぎれも無い被災地に住んでおりますが、「最も地図の形が変わった」この町のもつ、そしてこれからも抱え続けて行く悲しみは、テレビのニュースで見ていただけの僕には分からない感情でした。
納品先のK様も、家も会社も全て流されてしまいましたが、無一文の状態から自分と会社が持つ技能を活かして地元の復興に力を尽くされていらっしゃり、笑顔で話されるのを見ていて、何かこう奮い立つ様な‥‥自分たちよりももっと酷い状況にいらっしゃる方なのに、逆に元気をいただきました。
このブログタイトルと同じく、「わたしたちに出来る事」はまだまだ沢山あるはず、物を与えるだけではなく、被災者それぞれが自立し、活力を伴って生きて行くことができる未来を作らねばなりませんね。
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